Japan Meeting of Furries、略してJMoF…それは2013年、滋賀県彦根市のサンルート彦根から始まった着ぐるみ系コンベンションである。現在は愛知県豊橋市のホテルロワジール豊橋に場所を移し、毎年1月に行われている。そんなJMoFに着ぐるみ界隈にあまり馴染みのなかった私が今回初参加して感じたものを書き綴っていこうと思う。
- そもそも、着ぐるみ界隈とは?
- 参加に至るまでの津々浦々
- そこにあったのは「不思議なセカイ」と「懐かしいキモチ」
- 比類なき「理想の自分」へのこだわり
- 新たな価値観と体験のサルベージ
- 着ぐるみという名の文化的価値の再認識
そもそも、着ぐるみ界隈とは?
着ぐるみは人体着用ぬいぐるみの略で、この言葉が生まれたのは1980年代と実は割と新しい。文化の祖を辿るとか狂言や歌舞伎にたどり着くらしいが、現在のようなぬいぐるみのスタイルが一般的になったのは「ゴジラ」が祖と言われている。基本的に中に人が入り、キャラクターとして振る舞うことでアニメキャラなどとリアルに掌を重ねるような体験を味わわせてくれる。所詮子供だましと思われがちだが、最近はゆるキャラブーム*1などで各市町村がこぞってキャラクターを作ったために大人でもハマる人が増加傾向にあるのだという。
と、ここまでは着ぐるみという文化の説明で、これから紹介するJMoFの参加層である着ぐるみ界隈は簡潔に言うとケモノが好きな人達の中で、着ぐるみによる獣化願望の成就や理想のキャラになりきることを志し、夢を叶えた者たちである。中には自作する者もいるし、業者に委託して作ってもらう者もいる。そんな着ぐるみを身に纏い人々と交流を図るのが「着ぐるみ界隈」である。
参加に至るまでの津々浦々
ここまで凄く他者目線で書いてることから分かるように、私は着ぐるみを持っていないし、着たいと思ったこともほとんどない。もちろん界隈に吹く風の色も見えない。過去にバイトで愛知万博のキャラであるモリゾー(ただし万博終了から8年ほど経過していた)に入った事が一度だけある程度に留まる。そもそも着ぐるみ界隈は知り合いのフォロワーこそ多いがTwitterを騒がす問題が度々目立ったがためにケモナー界隈同様に私自身あまり良い印象を持っていなかった。私がかつてケモナー界隈といざこざを起こして怯えて震える体を焼き尽くされそうな、もう何も信じたくない程度の不信に陥ったこともあり、その経験からも着ぐるみ界隈とはある程度の距離をおいていた。そんな私のJMoF参加は今後も絶対にあり得ないと2016年までは考えていた。
しかし2017年、状況が変わる。3月に購入したデジタル一眼が私のフォトライフを大きく変え、写真の楽しみを大きく広げた。というのも、初陣のディズニーランドで動体をたくさん撮る事にハマり、もっと様々な動体を撮りたいと思い始めた。ちょうどディズニーランドに一緒に行ったメンバーがJMoF参加常連で、既に着ぐるみも所有していたので彼に「JMoFで専属カメラマンやってもいいか?」と聞いてみたところ快く承諾を受け、私もJMoF参加に前向きになったが、まだこの段階ではこぼれ落ちた闇雲のアンサーでしかなかった。ここから同泊者が決まり、ホテルを取ることが出来た事をきっかけに、ついに私はJMoFに行くと決意した。ここまで書いた通り、当初の参加目的は「動く着ぐるみの写真を撮り、撮影欲を満たす」事だけである。そして2018年1月9日、運命の日がやってきた。
そこにあったのは「不思議なセカイ」と「懐かしいキモチ」
JMoFの行われるホテルロワジールは愛知県豊橋市にある。私の住まいは岐阜県の各務原なので名鉄で一本という気軽さである。距離もそう遠くなく、東京や大阪からやってくる人々を涼しい目で見ることが出来るのは地元民(ってほどではないが)特有のちょっとした優越感だ。と、それはさておき。同泊者と合流してホテルまでやってきた私を迎えたのは「あちこちに着ぐるみが闊歩する不思議な空間」である。もちろん過去にけもケットなどで撮影会にも参加しているため着ぐるみを見るのは初めてではない。しかしこのホテルの光景は今までと何かが違うと感じた。また、受付ロビーでは海外の有名インディーズゲーム「Undertale」のBGMが生演奏されていて、より浮き世離れ感を高めていた。そこに追い討ちをかけるように隣のホールで「性癖フルーツバスケット」なる開いた口が塞がらないような意味不明なイベントが開かれていた。少し覗いたが我々ケモノ界隈じゃないと1ミリも理解されないような特殊性癖の飛び交うカオスな空間と化していた。最初は正直ドン引きしたが、過去に味わったことのあるどこか懐かしい内輪ノリを心のどこかで感じた。このキモチは翌日のステージイベントを経て確信へと変わった。
そう、これは「中学や高校の文化祭のノリ」だと。そんな一面を持ちつつも、着ぐるみコンベンションとしての側面を全面に押し出す記念撮影やどうぶつさんたちだいしゅうごうだわいわい状態のパレードなど、基本はしっかり抑えていた。会場入りして早々に当初抱いていた狂いきったイメージは奈落の隙間へと消え落ちていった。
もう一つ驚いたのが、着ぐるみコンベンションを名乗っている割に着ぐるみ前提のイベントが少なく、着ぐるみがなくても気軽に参加できるということである。特に私が参加した漫画版トワプリでおなじみの姫川明さんによるライブドローイングは着ぐるみ要素なんてどこにもないガチな講座で、絵師の端くれとして非常に為になる話が聞けたし生の姫川さんの狼イラストが見られただけでも感涙ものだった。改めて尊敬し、一生応援したいと思える漫画家だと感じた。
着ぐるみコンベンションの体を成しながら、文化祭のような軽いノリのイベントからガチのイラスト講座や講義まで幅広く取り扱うJMoFの窓口の広さにカテゴライズの壁は存在しなかったのである。
比類なき「理想の自分」へのこだわり
写真の詳細
エグスカ(@JunSoarsky ,@Sky_ya_ )「本日成人式の祝宴が開催され、およそ800人の新成人の方が参加されます。誠に恐れ入りますが、上記時間帯はロビーや玄関エントランスでのご歓談はご遠慮頂きますようご協力をよろしくお願いします。(ペコッ」
— フェリシェイク留牙 (@iDuSkFeRiRoC) 2018年1月9日
エグ「チラッ」 pic.twitter.com/yWZSaP4umR
ここからは着ぐるみのアテンドや着替えの補佐をして感じたことを書く。着ぐるみというものは大半が自身と体格が違い、そのまま着ただけではブカブカになってしまうことが多い。そこで着ぐるみと身体の間にあんこ(小さなクッションのようなもの)を噛ませて足りない分の厚みを稼いでいた。アクターの中では常識なのかもしれないが、部外者にとっては「深いこだわり」を感じたのでピックアップしてみた。
次にとある着ぐるみのアテンドをした時の話をしよう。私がアテンドしたその子はキャラクター設定上前屈みに歩くことが基本姿勢とされていて、横で見ていて非常に疲れそうな歩き方をしていた。頻繁に休憩を挟まないと腰と背中を痛めるほどで、本人はかなり辛そうな声を上げていた。この職人魂には正直感服した。リアリティにこだわるために端から見ても分からないような苦労が込められていると考えると、着ぐるみの見方もまた変わってくる。理想の自分やキャラクターになりきるための、影の努力が確かに感じられた。
さらに、二日目の夜に自室にて同行者の着ぐるみを着せてもらい私自身も久しぶりの着ぐるみを体験する機会を得た。正直な感想を言うと…
むっちゃ暑い、むっちゃ視界悪い、むっちゃ息苦しい…。
快適とはとてもじゃないが口に出せるようなものではない。慣れれば多少はマシになるのかもしれないが、これで踊ったり移動したりするのは本当に大変な事だと思った。と、こんな感じで実際に触れて分かる着ぐるみのこだわりや苦労を改めて知ることが出来た。
新たな価値観と体験のサルベージ
上で少し書いたステージのことをもう少しピックアップするが、JMoFには毎年映画などから取られたテーマが存在する。海外の着ぐるみコンベンションなどでもテーマは存在しており、拘束力が結構強いそうだが、JMoFの場合はテーマによる縛りはほとんど存在しない。ではテーマが一番活きるのはどこなのかと言われると、毎年行っているJMoFスタッフ主導のステージショーである。閉会式の前に行う最後の締めのようなもので、音楽やパフォーマンスに秀でたアクターがショーを行う。もちろん着ぐるみ着用なのでただのステージではない。今回のJMoFのテーマは「JMoF以外全部沈没」というもので、あの大ヒット映画「日本沈没」がテーマになって…いるわけではなく、タイトル的にはパロディの「日本以外全て沈没」が元ネタと思われる。しかしステージタイトルは「MOF MAX -怒りのデスロード-」と、マッドマックスがテーマとなっているよく分からない構成である。このカオス感が魅力(?)なのだろうか?初参加だからよくは分からなかった。一応ストーリー仕立てで、JMoF以外沈んでしまった世界で海を干上がらせる(浮上じゃないところがポイント)ためにパフォーマー達の力を使い観客の笑顔と熱気を溜め、最後には世界を沈めた張本人を説得し、世界は平和(?)になるという観客参加型のヒーローショーっぽいお話。若干グダグダ気味な進行も相まってホントに文化祭のような雰囲気を感じて懐かしく思えた。内容もショートムービーからキーボードやヴァイオリンなど楽器演奏からバルーンアート、ボイパやジャグリングまでバラエティ豊かで、レベルの高いステージが繰り広げられていた。大盛況のうちにステージは閉幕し、エンディングロールが流れたあとは閉会式へと移った。その後少し時間を置いて、立食パーティ「デッドドッグパーティー」が開催された。
「犬死に」の名が示すとおり、スタッフも参加してのカオスな立食パーティーで、お酒片手に様々な人と交流を楽しんだ。初参加だけに知り合いはあまり多くなかったが、久しく会ってなかったフォロワーや初対面の相互のフォロワーもいたりとまた新たな出会いがあった。さらに片道でフォローしているJMoFスタッフの方とも狼トークで盛り上がる事が出来て凄く楽しかった。また来年もこの席で会うことが出来たらいいな…。新しい体験を通して、沈んだ価値観を深海からすくい上げるような気分だった。
着ぐるみという名の文化的価値の再認識
人は老いる。中学、高校時代は一瞬で過ぎていく。乾いた果実は一度乾くともう元には戻らないように、過去に戻ることはできない。このJMoFはそんな中学、高校時代を経て大人となった人たちによる文化祭のような側面を持った特殊な着ぐるみコンベンションであると感じた。本当に夢中になったし新しい文化もクソアニメ*2も知ることが出来た素晴らしい三日間だった。ステージで言っていた「毎日がJMoFになればいい」という願望の意味を初回の参加で理解することが出来たのは大きかったし、また参加したいと思えるイベントだった。初回だけにまだ楽しみ方が少し分かってなかったところもあったが、これから回数を重ねることに自分の楽しみ方が分かってくると私は思う。
【Grand Prix 2018】「本当の自分」 Photography by EIXIN (日本) #JFPC2018 pic.twitter.com/CiJq9ipiMm
— JFPC2018 (@jfpc_official) 2018年1月7日
この二日間の体験は、無縁だった着ぐるみという名の世界に微かだが確実に興味を持つことが出来たと強く感じた。そしてこの写真のように、私にもある「獣化欲」をほんの少し刺激する結果となった。またイラストを初めとする創作意欲にも火を付け、新しいネタを得ることもできた充実の終末(週末)だった。来年も参加することがあれば、より楽しみ方を理解して今年以上に楽しみたい。
長々と語ってきたが、今回はこれで筆を擱くとしよう。最後に行きの道中で聴いて「この曲JMoFにぴったりだよな」と考えていたらまさかのJMoFエンディングロールでも使われた岡崎体育の名(迷)曲「感情のピクセル」を聴いてお別れとしよう。実は今回の記事の中で意図的に数カ所ほどこの曲の歌詞を引用改変してる部分がある。ちょっと不自然だがこの曲が大好きなので少し愛を込めてみたというわけだ。
次回の更新は、私も大好き"だった"とあるホッケー型音ゲーのダメな点を徹底的にあぶり出して行こうと思います。